浅草橋
門も橋も、浅草にあったことはない。どちらも浅草へ向かう道の上に立っていた。人形の問屋はこの地で三百年続いている。
一本裏の通りに
- 浅草橋須賀神社
- 銀杏岡八幡神社
- 神田川の裏路地散歩
- 江戸通り裏の問屋路地
- パーツクラブ 本店
- 祭り・イベント装飾の問屋
- 人形の久月 浅草橋総本店
- 喫茶ゆうらく
- 駅南側の昭和居酒屋路地
Tokyo Backstreets
東京の路地裏を、 駅ごとに。
このサイトの駅ページは二つに分かれています。目当ての名所と、その一本裏に立っているもの。このページは後半だけを集めたものです。
秘密でも発見でもありません。この多くは近くに住む人には当たり前に知られていて、ただ駅と名所を結ぶ線から外れているために、旅行者が曲がり角を通り過ぎてしまうだけです。ガード下の立ち飲み。シャッターを残したままの商店街。下りる理由がなければ気づかない、坂の底の寺。
一覧はエリアごとに並べています。各駅からはその駅のページへ移れます。行き方、どの時間帯に見るものか、そしてほとんどの駅では自前の写真があります。営業時間もシャッターも変わります。店が小さい、現金のみ、夜だけ——そうした注意は駅ページのほうに書いてあります。
門も橋も、浅草にあったことはない。どちらも浅草へ向かう道の上に立っていた。人形の問屋はこの地で三百年続いている。
一本裏の通りに
二つの国を、1657年の火事のあとに架かった橋がつないだ。町の中心にある公園は、その土地で起きたことのために存在している。
一本裏の通りに
628年、漁をしていた兄弟が川から引き上げた像を祀ったのが始まりの寺。いま建っているものは、すべて再建されたものだ。
一本裏の通りに
地名のもとになった堀は、埋め立てられている。夕方に釣って帰ろうとすると、水の中から「置いてけ」と声がしたという、あの堀だ。
一本裏の通りに
塔の足もとの駅は、2012年まで業平橋という名前だった。都を離れてこの川に着き、鳥に都のことを尋ねた歌人にちなむ。
一本裏の通りに
亀島は、川口に土砂が積もってできた島で、亀の形をしていたという。水路はとうに埋まり、残っているのは名前だけだ。
一本裏の通りに
奥州街道の最初の宿場で、荒川の北側にあたる。芭蕉が北へ発ったのもここだ。西口の飲み屋横丁は、いまも道幅が狭い。
一本裏の通りに
町の名は、児童遊園にある一つの石から来ている。房州から海を渡って運ばれた凝灰岩で、いま地面の上に出ているのはごく一部だ。
一本裏の通りに
駅の東口を八重洲という。漂着したオランダ人の名前で、もとは西口側の地名だった。1929年にいちど消え、1954年に線路の反対側で復活した。
一本裏の通りに
地名のもとになった銀貨の鋳造所は、1801年にここを去った。柳が植わったのはそのあとで、地下水の高いこの土地で枯れなかった木が、それだけだったからだ。
一本裏の通りに
江戸歌舞伎はここで始まった。芝居小屋は天保の改革で浅草へ移され、残ったのは芝居見物の土産だった人形の名前だけである
一本裏の通りに
日本最初の鉄道が出た街。いまは高架下と路地に飲み屋が詰まり、SL広場はテレビが酔った会社員に話を聞きに行く場所になっている
一本裏の通りに
羽田へ24分、島へ24時間。海に向かって開いた駅
一本裏の通りに
秋葉原に秋葉神社はない。地名のもとになった社は、1888年に鉄道を通すため三キロほど離れた松が谷へ移された。
一本裏の通りに
二十世紀のあいだ、ここは日本の北が東京に着く場所だった。夜行列車の終点で、降りた人はそのまま改札を出ていった。
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六本の木か、名に「木」の字を持つ六家の屋敷か。どちらも証明されておらず、決着をつける木も残っていない。
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地図には載っていない。谷中・根津・千駄木を縮めたこの呼び名は、1984年、住民自身が始めた季刊誌がつけたものだ。
一本裏の通りに
この街の中心にある地蔵は、公開されない秘仏である。寺の由緒によれば、その像は三センチに満たない霊判から写されたものだという。
一本裏の通りに
1912年の唱歌にうたわれた小川は、暗渠になっていまも街の下を流れている。スクランブル交差点の人波は、その上を歩いている。
一本裏の通りに
いまの代々木公園は、二十年近くのあいだ、入ることのできないアメリカだった。八百二十七戸の、軍人家族向け住宅地である。
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日本橋から最初の宿場が遠すぎたため、1697年、町人が金を納めて開設を願い出てできた宿場町である。
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二坪の古書店から始まったビルと、犬十万匹の囲いの跡。どちらも中野駅の北にある
一本裏の通りに
北沢という川の下流にあたる。川はいま暗渠になり、緑道として残っている。上北沢は、同じ川の上流というだけのことだ。
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荻の茂る窪地だった。1922年に駅ができるまでのことだ。骨董屋は表通りにはない。裏の路地に散らばっている。
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駅の名は品川、住所は港区。宿場は、ここから1キロ先にある
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駅を出ると道が落ちる。目黒の名を持つものは、みな坂の下にある
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関東大震災のあと、銀座が剥がしたレンガをもらい受けて、この商店街は舗装された。名前は、そのレンガと一緒にやってきた。
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銀幕の街だった下町。羽田への乗換駅として今も動き続ける
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