水天宮
7分安産・子授けの社。文政元年(1818年)、久留米藩の九代藩主 有馬頼徳が三田の江戸上屋敷に分霊を勧請したのが始まり。塀越しに賽銭を投げる人が絶えず、藩主は毎月五日だけ門を開いて参拝を許した。明治になって青山、次いでこの蛎殻町へ移った。
💡 2016年に建て替えられ、社殿だけでなく参道や回廊を含む境内全体が免震構造になっている。戌の日は安産祈願の人で混む。
Tokyo
江戸歌舞伎はここで始まった。芝居小屋は天保の改革で浅草へ移され、残ったのは芝居見物の土産だった人形の名前だけである
人形町・浜町・水天宮前は歩いて回れる一つの街区で、駅どうしは数分の距離しかない。あいだを甘酒横丁という四百メートルほどの通りが結んでいる。江戸のころは芝居小屋の町だった。いまは老舗の飲食店と神社が、オフィスと住宅のあいだに挟まって残っている。
定番
安産・子授けの社。文政元年(1818年)、久留米藩の九代藩主 有馬頼徳が三田の江戸上屋敷に分霊を勧請したのが始まり。塀越しに賽銭を投げる人が絶えず、藩主は毎月五日だけ門を開いて参拝を許した。明治になって青山、次いでこの蛎殻町へ移った。
💡 2016年に建て替えられ、社殿だけでなく参道や回廊を含む境内全体が免震構造になっている。戌の日は安産祈願の人で混む。
明治座から人形町駅まで、四百メートルほどまっすぐに続く通り。和菓子屋、豆腐屋、そば屋、履物屋が並ぶ。名前は明治のはじめ、横丁の入口にあった甘酒屋「尾張屋」から来ている。その店は昭和二十八年ごろに閉じたが、通りの名前だけが残った。
💡 端から端まで歩いて十分ほど。日曜は休む店が多い。
1873年(明治6年)に喜昇座として開場した劇場。久松座、千歳座と名を変え、1893年に初代市川左團次が買い取って明治座となった。東京でいちばん長い歴史を持つ商業演劇の劇場とされる。
💡 公演の予定と当日券の有無は劇場のサイトで確かめること。甘酒横丁はこの劇場の前から始まる。
地元の穴場

強運厄除の社として知られる。関東大震災のとき御神体を持って避難して助かったこと、東京大空襲で戦災を免れたこと、出征奉告祭に参列した兵士が全員生還したと伝えられることが、その由来として語られる。境内には「東京銭洗い弁天」がある。
💡 境内はきわめて狭い。近年参拝者が増え、平日でも行列ができる。列は歩道にはみ出すので、通行の邪魔にならない位置に並ぶこと。
隅田川に面した中央区の公園。運動場と体育館があり、川沿いのテラスにも出られる。明治座の裏手にあたり、公演の前後に時間をつぶす場所になっている。
💡 駅からは十分ほど歩く。甘酒横丁を明治座まで歩き、そのまま川へ抜けるのがいちばん分かりやすい。

関東大震災のあとに建てられた復興小学校のひとつ。アーチと時計を持つ鉄筋コンクリートの建物で、同じ敷地に区立日本橋図書館と社会教育会館が入っている。
💡 現役の小学校である。建物は通りから見るだけにして、敷地には入らないこと。図書館の入口は別にある。
定番
1760年(宝暦10年)創業の鳥料理店。初代は将軍家の御鷹匠を務めた。親子丼は五代目の女将が1891年ごろ、鳥すきの割下を卵でとじて飯にかける客の食べ方から考えついたものとされる。割下に砂糖と酒は使わない。
💡 2022年6月から建て替えのため休業し、2025年11月1日に再開した。建物は新しい。昼は親子丼、夜は鳥すきと鳥料理。人形町駅A2出口から一分。
1917年(大正6年)創業の人形焼の店。皮が薄く餡が多い。水天宮のすぐ前にあり、参拝の帰りに買っていく人が多い。
💡 焼いているところが通りから見える。売り切れると早く閉まることがある。
地元の穴場

1916年(大正5年)創業のたい焼き屋。一匹ずつ型で焼く。麻布十番の浪花家総本店、四谷のわかばとあわせて東京三大たい焼きと呼ばれる。
💡 行列ができることが多い。焼き上がりを待つ形なので、時間に余裕をみておくこと。持ち帰りは袋の口を開けておくと皮が湿りにくい。
寛永元年(1624年)ごろ、京都から下ってきた猿若勘三郎が、この地に猿若座を開いた。のちの中村座である。続いて村山又三郎が村山座を興し、のちに市村座となった。江戸の歌舞伎はここから始まっている。芝居小屋のまわりには人形浄瑠璃の一座もいて、見物を終えた客に土産の人形細工を売る店が増えた。それで「人形町」と呼ばれるようになった。
天保十二年(1841年)十月、中村座から火が出て、市村座もろとも焼けた。折しも天保の改革のさなかで、芝居は風俗を乱すものとされていた。同年十二月、二座は浅草聖天町への移転を命じられる。翌年四月、その移転先は猿若勘三郎の名を取って「猿若町」と改名された。芝居を追い出した先に、芝居を始めた男の名がついたことになる。
芝居は戻らなかった。それでも土産物の名前のほうは残り、九十年あまり後の1933年に正式な町名になった。この街には同じことがもう一度起きている。甘酒横丁は、明治のはじめに横丁の入口にあった甘酒屋「尾張屋」に由来する。その店は1953年ごろに閉じたが、通りの名前は残った。二度とも、消えたのは店のほうで、残ったのは名前のほうだった。
小網神社・水天宮ほか七社
正月の恒例で、七社すべてを二、三時間で回れる。距離のいちばん短い七福神めぐりとされる。小網神社を起点にする人が多い。御朱印は正月以外でも受けられるので、混雑を避けるなら時期をずらす手もある。
日程は年によって動きます。予定を組むときは神社・主催者の案内で確認してください。
水天宮前駅に直結する大型ホテル。東京シティエアターミナル(T-CAT)が隣にあり、成田・羽田行きのリムジンバスがそこから出る。
💡 空港からリムジンバスで来る場合、この一帯では最も分かりやすい降り口になる。
渋谷から
約27分 · 乗換なし · 東京メトロ半蔵門線 · ¥210半蔵門線は水天宮前まで直通。そこから人形町までは地上を歩いて二分ほど。
新宿から
約28分 · 乗換1回 (馬喰横山で乗換) · 都営新宿線 → 都営浅草線 · ¥220
東京駅から
約15分 · 乗換1回 (八丁堀で乗換) · JR京葉線 → 東京メトロ日比谷線 · ¥330東京駅の京葉線ホームは改札から遠い。大手町まで地下通路を歩いて半蔵門線に乗り、水天宮前で降りるほうが分かりやすい。
上野から
約6分 · 乗換なし · 東京メトロ日比谷線 · ¥180
池袋から
約33分 · 乗換1回 (上野で乗換) · JR山手線 → 東京メトロ日比谷線 · ¥390
品川から
約17分 · 乗換1回 (泉岳寺で乗換) · 京急本線 → 都営浅草線 · ¥370
成田空港から
約96分 · 乗換2回 (空港第2ビルと青砥で乗換) · 京成本線 → 京成押上線 → 都営浅草線 · ¥1,220
羽田空港から
約38分 · 乗換1回 (浜松町で乗換) · 東京モノレール → 都営浅草線 · ¥740浜松町でモノレールを降り、地上を歩いて大門駅から浅草線に乗る。同じ駅ではないので、乗り換えに時間をみておくこと。
所要時間は平日昼間の目安、運賃はきっぷの概算です。どちらも変わるので、当日は乗換案内で確認してください。
この一帯には三つの駅がある。人形町駅(東京メトロ日比谷線・都営浅草線)、水天宮前駅(半蔵門線)、浜町駅(都営新宿線)で、人形町と水天宮前は地下でつながっておらず地上を歩くが、その距離は二百メートルもない。甘酒横丁の通りを軸にすると位置関係がつかみやすい。上野からは日比谷線で乗り換えなしの六分。渋谷からは半蔵門線が水天宮前まで直通する。
平日の午前中は、甘酒横丁の商店が開いて人が少ない時間帯。小網神社は近年参拝者が増え、休日は行列になることが多い。水天宮は戌の日に安産祈願の人で混む。夜は飲食店以外がほぼ閉まり、通りが静かになる。
甘酒横丁は明治座から人形町駅まで一本で、この通りを端から端まで歩けば街のおおよそが分かる。老舗の和菓子屋は売り切れで早じまいすることがあるので、買い物が目的なら午前中に寄っておきたい。小網神社は境内が狭く、行列は歩道にはみ出すため、通行の邪魔にならない位置に並ぶこと。
江戸の初め、この付近の堺町・葺屋町に中村座と市村座という芝居小屋があり、人形浄瑠璃も行われていた。その客に土産の人形細工を売る店が増え、通りを「人形通り」、あたりを「人形町」と呼ぶようになった。町名として正式に定められたのは1933年(昭和8年)のことである。